豆腐が好きな男の日記

ペスコ・ベジタリアンの食生活

自分にできることを何もしないで未来のこと語れるの?

どうも、ご無沙汰しております。

 

”肉食べんかったら彼女もできんし、結婚もできんやろ”と言われることが多いので、思ったことを綴りたいと思います。

 

地球環境は悪化の一途を辿っています。温暖化の進行は止まらず、台風は巨大化、頻発化し、近年では街が壊滅してしまうほどの大規模な洪水が増えています。

ここ10年だけでも暑くなったと個人的に感じていますし、私たちが地球温暖化の脅威を身をもって感じる機会も増えていくでしょう。

 

現状が何も変化しなければ100年後には地球は地獄のようになっているでしょう。夏は40度を超えるのが当たり前。毎日のようにゲリラ豪雨が降り、一回一回の台風で街が壊滅していく。台風や干ばつにより食糧供給が減少し、食べ物を巡って紛争が勃発...。

ですから現在SDGs、持続可能性(サステナビリティ)というのが世界中で叫ばれているのです。

 

100年後に私が生きている可能性は0%でしょうが、私たちの次の世代はどうでしょうか。

私には、自分にできることを何もせずに、未来の世代に負担を丸投げすることなどできませんし、仮に結婚して子どもができたとして、その子どもたちに地獄を見せたくなどありません。

 

前にも述べましたが、畜産がもたらす環境への影響は甚大です。

ですから、私は肉を食べることを止めたのです。

別に全員が、肉を排除するまではしなくても良いと思いますが、摂取量を減らしていただきたいですし、一人一人が環境に気を使うべきだと思います。

 

要するに、異性との円滑な交際のために肉を食べるのを再開して、呑気に結婚して子どもを作ってというのは私にはできません。以上。

 

今回も読んでいただき、ありがとうございました。

菜食主義者には日本はつらいよ

皆さんこんにちは。

まず初めにですが、前回の投稿から1カ月以上経ってしまいました。私自身の怠慢を反省したいと思います。念のために申しておきますが、肉を排除する生活は今も続けております。

 

さて、4月ということで新生活を迎えられた方も多いかと思います。私自身もその一人です。大学生という肩書を失い、社会人というカテゴリーに足を踏み入れました。

まだ2日しか会社に行っていませんが、これまでとは異なる新たな環境に身を投じることはやはり疲れます。早く仕事や生活に慣れたいです。

 

それで今回はその出勤した2日に起こったことについて、ブログで綴りたいなと思ったのでパソコンと向き合いました。

 

1日が入社式、2日が新人研修1日目だったのですが、会社側が昼食の弁当を提供して下さりました。まあ予想していたのですが、弁当には肉が入っていました。

会社が提供して下さった物を拒否するのも失礼だと思ったので受け取りましたが、他の人に肉いる?と聞くこともできず、結局食べました。久しぶりに口にしましたが、やはり罪悪感を感じてしまい、モヤっとした気持ちになりました。

*補足で述べておきますが、私の中では肉を食べることよりも、食べられるものを残すことの方が信念に反します。食品廃棄問題について私が思うことは以前記事にしました。気が向けば読んでいただきたいと思います。

結局「肉を食べないので明日からは弁当は結構です。」と先輩社員の方にも伝えることができずに退勤しました。遠慮して自分の価値観や考えを伝えないというのが、やはり日本人の性なのでしょうか。それとも、ここ日本では何も言わずに我慢するのが礼儀というものなのでしょうか。様々な考えがあると思いますが、私自身は何も言いだすことができなかった自分に嫌気を感じました。

 

やはり日本で菜食主義を貫くには様々な障壁があります。

しかし、私は今後もこの食生活を継続していきたいと思います。

今回も読んでいただき、ありがとうございました。

肉を完全に排除するのは持続可能なのか?ベジタリアン・ヴィーガンへの障壁。フレキシタリアンという考え方。

どうも、最近は少しバタバタしております。

 

近所に麻婆豆腐が有名な中華屋さんがあります。1か月前に行ったけどもう一回食べたいなぁ~と思ったのですが、踏みとどまりました。そういや麻婆豆腐に豚ミンチ入ってるやんけ…と。

純粋に麻婆豆腐が食べたいと思ったのに、そこには食べたくない肉が入っているという現状。その時に、これから先はもっと様々な障壁が待ち受けているのではないのか、と思いました。

例えば、誰かが肉料理を作ってくれた時、焼肉に行こうと誘われた時などでしょうか。せっかく作ってくれたものを「いや僕、肉食べないんで」と跳ね返すのは、相手に対して失礼になるのでは。焼肉に誘われて、「いや肉食わないから」と断るのか。はたまた、一緒に焼肉に行って、肉は食わずに野菜とかキムチだけを食べるのか。様々な状況を思い浮かべました。

 

今は一人暮らしかつ、コロナ禍で誰かとご飯に行くこともないので、肉を完全に排除することはそれほど難しいことではありません。誰にも迷惑をかけることもないですし、自分なりに楽しく実践できています。しかし、私もうすぐ実家に帰ります。このことを考えると”肉を食べない生活”を見つめ直すことは自分にとっても、自分の周囲の人にとっても大きな問題だなと改めて痛感しました。

 

この前ですが、試しにインスタグラムでアンケートを取ってみました。調査内容としては、肉を食べないと決めた以上、肉を完全に排除すべきか、それとも状況に応じて柔軟に対応するべきか、のどちらがいいと思うかです。結果としては前者:後者=1:2でした。協力してくれた方は本当にありがとうございます。結論としては、やはり柔軟に対応した方がいいのかなと思ったりしました。

もちろん、肉を食べたくないという根幹的な部分が揺らぐことはないです。

以前まで私が食べていた肉の摂取量を10とすれば、今の私の摂取量は0です。そして肉を完全に排除するのではなく、柔軟に対応して食べたほうがいい時は食べるとした場合は1、もしくはそれ以下でしょうか。このことを考えた時に、0と1の間では、数字的差異は小さいが、それ以上の差がある。そして、10から1にするだけでも大きな違いなのではないのかと考えました。

長ったらしくなりましたが、肉を完全に排除するのではなく、ある程度は食べようかなと思いました。もちろん食べる必要がなければ全く口にするつもりはありません。

フレキシタリアンとか、パートタイムベジタリアン、パートタイムヴィーガンといった考え方もあるそうです。

今後は手探りをしながら、自分にとって最適なルールを見つけ出し、自分ルールを作成したいと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました。

食品廃棄問題について。当たり前じゃねぇからな。

まず、皆さんに問いたいことがあります。

 

あなたは外食した際食べ物を平気で残していますか?もしくは家での食事で食べ物を残して捨てていますか?あなたは購入した食材をしばしば腐らせて廃棄していますか?

 

この質問のいずれかに対して、「はい。」と答えた人、私個人の率直な意見ですが、感覚が狂っていると思います。

 

私は23年生きてきましたが、食べ物を平気で捨てる人や粗末に扱う人をそれなりに目にしてきました。特に大学に入ってからは飲食店でアルバイトをしていたので、食べ物を残して帰る客を見ることもありましたし、食材を粗末に扱う社員の人もいました。

その中でも一番ひどかったのは、飲食チェーンの新店舗出店時にオープニングスタッフとして働く、というか調理の練習をしていた時でした。店舗オープン前の練習だったので当然お客さんが食べるということが無いわけですが、社員の方がもう息をするかのように完成品をゴミ箱に捨てていました。まあそれなりの大手だったので細かいルールがあるのかは知りませんけど、退勤した後に皆で食べるとか、希望者がいれば持って帰れるようにするとか、柔軟に対応できたりはしないんですかね。

次々とゴミ箱に捨てられていく食材をただ見てる時の僕の胸の内なんて、もう頂上戦争時のコビー状態でした。

「もうやめましょうよ~。もうこれ以上食べ物捨てるのやめましょうよ~。命がもったいない~」って感じでしたね。

 

すみません、ちょいとふざけました。自分の方が感覚狂っているのかなと思うことも何度かありましたが、やはり食べ物を粗末に扱うほうがおかしいと思います。確かに今日では食べ物に恵まれ、当たり前のようにそれを享受できている人がほとんどです。しかし、この国でも貧しさゆえに十分に食べられない人もいますし、世界全体を見渡せば、9人に1人が飢えで苦しんでいるのが現状です。

 

FAO(国際連合食糧農業機関)によれば、世界では食料生産量の3分の1に相当する13憶トンが毎年廃棄されているそうです。この中には食品加工の段階で出るもともと食べられない量も含まれているそうですが、3分の1は流石に多すぎると感じますね。

 

時代が変わり、確かに食べ物の価値は変わったかもしれません。しかし、食べ物への感謝やありがたみは忘れてはいけないと思います。植物も動物も大切な命です。しかし、植物の命を軽んじるつもりはないのですが、環境を汚して、人権を侵害して、動物を殺してまで手に入れた肉を簡単に捨てるのは、もっと違うと思います。

 

朱海平原で戦っていた人達や鄴にいた人達をみれば食べ物のありがたみが分かりますよね。

では、最後に加藤浩次さんの言葉を拝借して締めたいと思います。

「当たり前じゃねぇからな、この状況。」

今回も読んでいただきありがとうございました。

 

ヴィーガン・ベジタリアンって宗教?変人?菜食主義・マイノリティへの批判について思うこと。

まず前提として、私は肉を食べる人を批判したり、攻撃したりするつもりはありません。それを理解した上で読んで頂きたいと思います。

 

YouTubeヴィーガンと調べてみた時に、ヴィーガンを批判する方や、ヴィーガンへのアンチコメントを多々目にしました。気が進みませんでしたが、この人たちはどうして菜食主義者を批判するのか理解しておく必要があるかなと思ったので、まあそれなりに色んな動画を観てみました。

 

そこでの菜食主義者への批判としては、「ヴィーガンは過激でデモを行っていて、自分たちの考えを押し付けて来るから嫌いだ。」「ヴィーガンの人は他人にヴィーガンをすすめたがるし、自分がヴィーガンだと言いたがる」、「植物も命だけど植物を殺すことは可哀想って思わないの?」「薬は動物実験のおかげでできてるけど薬は飲むの?」など様々な意見がありました。

 

まず初めに思ったのが、何故そもそも批判する必要があるのか、ということです。あなたは菜食主義者を批判してますけど、なんか直接言われたりしたんですか?と聞いても、大体の人がホーディ・ジョーンズみたいに「なにも」と答えるのじゃないでしょうか?仮に直接言われたことがある人がいても、それを他の人に刃先を変えて攻撃するのは違うのではないかと思います。

 

そして、喧嘩するつもりもないので、一つ一つの批判に対して答えていくつもりはありませんが、こういう議論になる時は、一部の人だけを見て全体もそうだと勝手に決めつけがちな傾向にあると思います。「アイドルオタクはマナーが悪いから嫌いだ」と言う人もいますが、別にいわゆるアイドルオタクが全員握手会の前日から会場前で場所取りをしているわけじゃないでしょう。ちゃんとマナーやルールを守っている方ももちろんいます。いわばパラディ島のエルディア人全員を悪魔と認識している一部のマーレ人と同じような感じですね。ガビは途中で考え方が変わりましたね。

 

また、一部の菜食主義者が過激な抗議活動を行ったり、場合によっては宗教なの?と認識されるような活動をしている理由も理解して頂きたいなと思います。中田敦彦さんがYouTubeヴィーガンについて取り上げていたのですが、そこでは「事実や現状を理解すれば、ヴィーガンというのが、非常にニッチな健康志向、つまりかなりこだわりの強い、ちょっとめんどくさそうな人達から、気づいている人達に変わってくる」的なことをおっしゃられています。”気づいている人達”を英語にしてみると、”People who have already noticed it"といった感じでしょうか。英語に関してはもう自信がないですが、ここでの”it"の意味はもちろん人それぞれです。

健康のためには肉が必要ないということや、畜産が環境を破壊しているということ、動物が物のように扱われ、人間の満足のために殺されていることなどですね。

一部の菜食主義者の人達が過激に行動するのは、残虐なシステムを変えたいとか、この地球を守りたいという、善意からだと思います。その点は理解していただきたいなと思います。

 

タイトルとは少しずれてしまった気がしますが、要は、菜食主義者は多種ある考え方の一つと捉えて頂きたいです。この世界では、少数派の人達がバカにされたり、腫れ物扱いされやすい傾向にありますね。LGBTの方とかもそうだと思います。恥ずかしい話ですが、今までの人生を振り返ってみれば、私もそういう少数派の方に対して少し嫌悪感を抱いたり、心の中でバカにしてしまったことがあります。人間の弱いところだと思います。

現実世界にいれば気づきにくいこともありますが、漫画なんかを読んでいると客観視して考えることができるのではないでしょうか。ワンピースの魚人島編とかは色々考えさせられますよね。

 

では少しでも世界がより良い方向に向かうことを願って、今回はこの辺で終わりたいと思います。

今回も読んでいただき、ありがとうございました。

 

肉を食べるのを止めた理由。#ペスコ・ベジタリアン

さて、今回は私が肉を食べなくなった理由を説明していきたいと思います。

 

実は今より前に一度、肉を絶つまではいかないにしても、摂取量を減らしていた時期がありました。

 

当時の私は、大学の部活でバスケットをしていました。肉を食べない方が体への負担が少なく、パフォーマンスが向上するという情報を目にしたので、それから色々調べ、部活動を引退する1ヶ月前ぐらいは肉の量を減らし、植物性食品中心の食生活をしていました。

 

まあ要するに、"健康上の理由"からです。

元から引き締まっていましたが、更に磨きがかかり、より俊敏な動きができるようになったと感じました。また、慢性的な疲労を感じることも少なくなりました。

 

まあしかし、部活動を引退した後は今までしてきた食事に戻しました。理由は単純明快で、お肉が好きだからです。健康には良くないと分かっていても、まあおいしいですもんね。健康とは矛盾する行動はほとんどの人がしていると思います。昔も酒は"百薬の長"などと言われましたが、最近の研究結果では少しでも飲むだけで体に害を及ぼすとされています。まあでも大体の人がお酒飲みますもんね。

 

そんな私が、なぜもう一度肉を絶とうという決断をしたかというと、それは"健康上の理由"が第一ではないからです。

 

理由はいくつかありますが、1つ目は、"環境上の理由"です。

牛や豚、鶏を育てる畜産業は、私達の想像以上に地球に害を及ぼしています。

畜産業での温室効果ガスの排出量は運輸業よりも多いです。

放牧のために多くの森林が切り倒され、アマゾンの多くの森林が失われています。

また、牛が出すメタンガスはとても濃度が高く温暖化への影響は甚大です。

私も牛が排出するメタンガスのことは耳にしたことがありましたが、その時は正直「牛もただ自然で生きているだけなのに、そんなこと言ったら可哀そうや」と思いました。しかし、まあ人間が食べるために育てている訳ですからね。

まあ二酸化炭素を酸素に変えてくれる森林を切り倒して、メタンガスという温室効果ガスを排出する牛を過剰に育てているっていうことです。

そして、牛や豚が排出する糞の量は莫大で、農場の近隣住民は汚染問題に苦しみ、病気にかかる人が続出しています。引っ越したくても貧しいから引っ越せないというのが現状です。

要するに環境破壊や人権侵害に加担したくないということです。

 

2つ目は、”倫理上の理由”です。

唐突ですが、みなさんは牛を殺して捌くことができますか?これは技術的な話ではなくて、精神的な話です。私には到底できません。想像しただけで気分が悪くなります。もちろん中には殺せるよという方もいるとは思いですが…。

皆がこのことに実は気づいているはずですが、後ろめたいことなのでどうしても目を背けがちです。この辺りが、私が乳製品、卵、魚を完全に排除せず、肉だけ食べないという答えの一部です。といっても私にとっては魚を捌くのも結構しんどいです。ここで述べたいのは、自分の代わりに誰かを辛い目にあわしたくないということです。

また、スーパーで売られているような安い鶏は、劣悪な環境で育てられています。生まれた時から狭いスペースで飼育され、感染病も蔓延しやすい環境です。感染病を防ぐために薬が投与されています。

そして、この畜産業では大量の水や食料が使われています。

世界では飢えで苦しんでいる人が大勢いるのに、畜産のために作物が栽培され、牛や豚、鶏にエサが与えられています。

いわば肉というのは、誰かの生活を踏みにじった上で一部の人が享受できる代物というわけです。

 

そして3つ目が、やはり”健康上の理由”です。

人類は肉も魚も野菜も食べる雑食だと思っている人も多いと思いますが、そんなことはありません。人類の犬歯や腸の長さはもう完全に草食動物のものです。肉を食べなきゃタンパク質不足になるとか体調不良になるとか思っている人もいますが大丈夫です。少し栄養学を勉強し、正しい食生活をしていれば不健康になることはまずないでしょう。ここで一番強調しておきたいのは、「人類は肉を食べなくても生きていける」ということです。

 

まあ今まで色々と理由を述べてきましたが、一番の大きな理由は、この世界が「腐っているから」です。

いや何か急に過激な発言してますやんと思った方もいるかもしれません。申し訳ないです。これからきちんと説明します。

1つ目の理由で、環境上の理由と述べましたが、環境保護団体として活動しているグループはこの地球という惑星にも多く存在しておられます。その団体たちは人類にとって必ずしも必要ではない畜産が環境に大きな影響を与えていることを知っておきながら、誰も畜産の規模を縮小すべきなどとはおっしゃりません。畜産より影響の少ない自動車には言及していますが。

理由は簡単です。「畜産業界から支援を受けているから」です。

環境を保護しようという団体が、環境を汚染する食肉業界からお金をもらっているというのが実情です。それほどまでに畜産業界の持つ権力は大きく、これに逆らえば、環境保護団体もやっていけなくなるため、仕方なく口を閉ざすほかありません。

そして、3つ目に健康上の理由と述べましたが、アメリカの国立ガン研究所などの、人々の健康を守るべき機関も畜産業界からの支援を受けています。なんなら健康的な食事のレシピとして肉料理を掲載したりしています。

もう何が何だか分からなくなってしまいますよね。

テレビで畜産の問題を取り上げることができないのも、食肉業界や乳製品業界がスポンサーにいるといった背景があります。

 

今まで私が述べてきたことを総括すると、私が肉を食べるのを止めた理由は、

「地球環境を汚染し、飢えで苦しんでいる人を無視し、動物の命を殺してまで、絶対に食べる必要のない物を食べたくない。そして、人々の健康と地球環境を害して私欲を貪る業界の後押しをしたくないから。」といった感じでしょうか。

 

ちなみに今回述べた知識は、Netflixから「健康って何?」、「Cowspiracy:サスティナビリティの秘密」、「ゲームチェンジャー~スポーツ栄養学の真実~」の3作品、「ぼくが肉を食べないわけ」という本などから得た知識です。具体的な数字を覚えていないので、一部の人にとっては説得力のない説明になってしまったかもしれませんが、大筋は合っていると思います。時間があればそれぞれの要点をまとめて、このブログに掲載したいと思っています。その際今回の中で間違っている部分があれば訂正しようと思います。

 

そして最後に申し上げておきたいことがあります。現代は情報が蔓延しているので、何が正しい情報かというのは本当に判別しにくいです。だから情報を鵜呑みにせず、自分なりに何が正しいかきちんと考えることが大事だと思います。私の今回の記事もまず疑ってかかってください。私は私なりに勉強し、考え、肉を食べない方がいいといった結論に達したまでです。

 

最後になりましたが、今回も目を通して頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉食べるの止めました。#ペスコ・ベジタリアン

はじめまして。

今日からブログを書いていくことにしました。

 

というのも、私から発信したいことができたからです。タイトルにある通り、私は肉を食べるのを止めました。

 

「肉食べないとか人生損じゃない?」とか「なんか意識高くてキモい」って思う人も多いと思います。

 


でもそれは大きな誤解です。人にはそれぞれ価値観や信念があると思います。肉を食べない人達は自分達の信念に基づいてその食生活をしているだけです。

 

お肉は確かにおいしいし、私自身今までお肉を食べて生きてきました。なんなら賄い目当てに焼肉屋で1年以上バイトしていました。しかし、今となっては食べる喜びよりも罪悪感の方が勝つようになったので、肉を食べるのを止めた次第です。

 

まず肉を食べない人は全員"ヴィーガン"だと勘違いしている人もいますが、そうではありません。

ヴィーガンとは、ベジタリアンの一種です。ベジタリアンの中にはいくつか種類があります。

 

1つ目が「ラクト・ベジタリアン」です。植物性食品と乳製品のみを食べます。乳製品といえば、牛乳やヨーグルト、チーズなどが代表的です。

 

2つ目は「ラクト・オボ・ベジタリアン」です。植物性食品に加え、乳製品と卵を食べます。

 

3つ目が「ペスコ・ベジタリアン」です。植物性食品と乳製品、卵、そして魚を食べます。

 

そして4つ目が「ヴィーガン」です。肉、乳製品、卵、魚を食べず、植物性食品だけで生活する"完全菜食主義者"の方です。"蜂"という動物から作られたハチミツも口にしません。基本的に動物由来の物は一切口にしないと理解して頂ければ早いと思います。

 

大きく分けてベジタリアンはこの4種類に分かれます。

 

私は3つ目の「ペスコ・ベジタリアン」です。といっても牛乳を飲むこともないし、ヨーグルトも卵料理も食べません。甘い物が好きなので、パンやスイーツ、アイスなどで口にしているぐらいです。また、魚を食べるにしても1日150グラム程度です。

 

さて、今回はベジタリアンの種類について説明しましたが、私が述べたいのはこんなベジタリアンの分類の話ではありません。次回以降は私が肉を食べなくなった具体的な理由を説明していきたいと思います。